[グッド・ヴァイブレーション~渡辺香津美のドガタナ・ワールド]民放FM,1984年6月16日
<温故知新スペシャル「KYLYN BAND秘話」>
思ったより。

○KYLYN
○アカサカムーン
渡辺香津美 「KYLYN」より
○ソニック・ブーム ※四国?でのライブ
○インナー・ウィンド
○在広東少年
渡辺香津美 「KYLYN LIVE」より
○東京JOE
渡辺香津美 ※シングル盤
○スウィート・イリュージョン
坂本龍一 「SUMMER NERVES」より
KYLYN BANDはライブにも行ったし、好きでよく聞いていたので、「秘話」というと絶対聞き逃せないという気持ちになりましたが、期待したほどの秘話でもなかったのが残念でした。
番組の中でキリン・バンドのライブでのトーク部分が放送されたので拾ってみます。
坂本:別に僕がプロデュースしたからといって何の仕掛けもないんですね。ただね、僕が好きな曲をやってるだけで、ただ一つ主旨はですね、あのー、あっ、硬いですね。主旨はね、あのー、渡辺香津美っていうのはもう、ようするに超、世界でも何番というテクニカルなね、あのー、
観客:一番。
坂本:一番。そう、そう。そうそうそう。世界でトップの、えー、テクニカル・ギタリストなんだけども、
渡辺:硬い!
坂本:あのー、
渡辺:熱い!
坂本:なんとかね、あのー、僕はね、僕のね、僕の曲とか、あのーいろいろやってもらってるわけね、香津美にね。それでねぇ、あのー、僕の、僕のレコード知ってる人?
観客:(あちこちから)はい。※拍手
坂本:それですごく彼が良いプレイしてると思う人?
観客:(あちこちから)はい。※拍手
坂本:わー。あのね、
渡辺:僕は良いから。
坂本:僕の曲でね、彼はプレイしてるほうがね、すごく良いと思うのね。
観客:(笑)
坂本:でね、なんとかね、そのね。
トークの放送が中途半端に終わってしまうんですが、これはキリン・バンド結成の元になった、1979年2月、六本木ピット・インでの渡辺香津美ウィークリー・セッションのときだそうです。
同じ日だったかどうか聞き逃してしまいましたが、またトーク部分が放送されました。
坂本:日本人っていうのはいろいろできるから、ね、これはやっぱりね、あのー、日本人の良いとこだ。良いとこにしないと勿体ないみたいなね。他に良いとこないみたいな感じなんですけどね。なんでもやれるって。ミュンヘン、ミュンヘン・ディスコの感じで、だけどボサノヴァの心も忘れないで、だけどクロスオーバーで、みたいなさ。そのー、うん、そう。アメリカ人って結構不器用だからね、僕たちが考えてる以上に。そんな、できないよね?
渡辺:そうですね。
坂本:ねぇ。
渡辺:だからあのー、たとえばサンバの心を持ちつつ、
坂本:持ちつつ。
渡辺:アドリブはジャズで、
坂本:アドリブはジャズで。
渡辺:しかし、ロックのフィーリングを入れて
観客:(笑)
坂本:ロックのフィーリングもあって。
渡辺:根本的には8・6の雰囲気も
坂本:8・6の雰囲気も
それは何?ナベサダさんのフレーズだっけ?
渡辺:あっ、そう。
観客:(笑)
坂本:というようにあのー、日本人っていうのはね、何でもできる
話が聞き取れない部分もありましたが、ライブ録音のトークだからよけいに聞き取りにくいし、話もまとまっていないかもしれませんね。
そして、これもよく分からないところもあったんですけど、香津美さんがキリン・バンドの名前について番組中に話していました。
さて、キリンと言いましても、ちょっと綴りが変わっていましてね、えーと、K・Y・L・Y・Nという、そういうものなんですけども、実はなんでキリンになったかという、まぁね、当時、仲間内でも「キリンで良いんじゃないの?」みたいな感じで軽くなっちゃったんですけども。
えー、実は私渡辺がキリン・クラブというものをですね、実は前からやりたかったわけなんです。というのはあのー、まぁ、仲間とみんなで酒を飲みに行くんでも良いし、映画見に行ったりとか遊園地行ったりとかね、えーー、図書館に行ったりとか、なんかそれはないですけども、まぁなんか仲間で、気の合った仲間で何人か集まって、えー、行動するときに、なんかそういう集団の名前をね、キリン・クラブと付けたらなんか楽しいんじゃないかというふうに思ってたんですけども。
まさかバンドの名前に○○○○(←聞き取れず)ね、しようとは思いませんでしたけども。
まぁ、こんなことをやりながら後、その後、キリン無き後、えー、イエロー・マジックに参加しまして、えー、アメリカ・ツアーとか、ヨーロッパ・ツアーとか行って、してですね、最初から次の年にまぁ久し振りのソロということで、えー「トチカ」なんてレコードを作りに至るなんですけども。
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