[グッド・ヴァイブレーション~渡辺香津美のドガタナ・ワールド]
<松岡直也を迎えて>民放FM1983年3月12日
興味深い話なので。


皆さん今晩は、渡辺香津美です。日本のミュージシャンが海外でレコーディングをしたり、コンサートをやったりするということは今ではそう珍しいことではなくなったわけですけども、アメリカからミュージシャンを呼んでコンサートを務めたのがニューヨーク・フィルハーモニック・オーケストラというね、ことになりますと、これは非常に興味の沸くところじゃないかと思いますけども。
えー、今夜はそのコンサートで話題のピアニスト、アレンジャー、松岡直也さんをスタジオにお迎えしています。はたしてどうなるでしょうか。お楽しみに。
渡辺:えー、それでは今夜のゲストの方をご紹介しましょう。えー、ピアニスト、コンポーザー、アレンジャー、そしてグループのリーダーでもあります松岡直也さんです。こんばんは。
松岡:こんばんは。
渡辺:よろしくお願いします。
松岡:よろしく。
渡辺:えーと、松岡さんと一番最初僕がお会いしたのはね、たぶん、’76年か7年くらいで、ピット・インっていう、
松岡:そう、だね。
渡辺:その時はどういう編成でやってらしたんですか?
松岡:まぁ、ことに決まった編成はないんだけども、一応大体アレンジメントが決まっていて、ホーンが5人。
渡辺:あの時はもうウィシングって名前になってたんでしたっけ、グループ。
松岡:いや、なってないんだよ。あん時は、サルサ・オールスターズと。
渡辺:サルサ・オールスターズ。
松岡:(笑)
渡辺:で、あのー、いわゆるなんていうか、あのー、すごい面白かったのは、あのー、僕、ずっとジャズのフィールドでね、あのー、なんかちょこちょこやってたんで、なかなかこう、松岡さんのお名前はね、あのー、昔は聞く機会が多かったんですよ。
松岡:はぁー。
渡辺:でも、どこ行ったらこう演奏をね、聞けるかっていうのがね、なかなかね、なくて。それで、いわゆるああいうライブハウスみたいなのができるようになってから、こう、松岡さんの演奏が、実際にね、こう、聞けるようになったっていう気がするんですよね。
松岡:うん、確かに、そうでね、あってね。大体あのー、ちょうど何て言うかなぁ、ライブ・ハウスの、ができるときと、そのできる前の以前のね、こう、切り替え時代って言うのがあったね。ジャズ喫茶とライブ・ハウスと。切り替えの時期って言うのがあったみたいだね。で、そのー、ジャズ喫茶、単なるジャズ喫茶って言ってた頃っていうのは、僕が夜店こもっちゃってね。
渡辺:夜店?お祭りの…(笑)
松岡:(笑)ナイト・クラブとかね。だから、音楽を聞きに来てるんじゃなくて、あのー、ダンスを踊ったり、そのー、食事をしたりね、レストラン形式のとこで、こう密かにやってたって言うかね。
渡辺:あぁ。
松岡:まぁ、音楽を聞きに来るっていう、雰囲気のところじゃなかったですね。そういうとこでやってたのね。
渡辺:シャンソンならシャンソン喫茶みたなのがあって、
松岡:そうそう。
渡辺:ジャズはもちろんジャズの、ウェスタンはウェスタンのがあったけど、
松岡:ラテンはない。
渡辺:ラテンがない、
松岡:ない。
渡辺:差別されてたってわけですね。困ったもんですね。
松岡:それで、だから、そういうとこでもう思い切ってやるとすぐ首になったりね。
渡辺:あっ、思い切って。(笑)
松岡:(笑)
渡辺:音が大きい。
松岡:うるさい。そうそうそう、そうなんだ。音が、まず音が、うるさいっていって首になるんだね。
渡辺:じゃあ、早速1曲聞いてみたいと思うんですけども。えー、これは新しいLPですか?えー、フォール・オン・ザ・アベニュー。
松岡:そうそうそう。
渡辺:フォール・オン・ジ・アベニュー。これは去年の何月でしたっけ。
松岡:えーとー、10月ですね。
渡辺:その中よりタッチ・ザ・ニューヨーク・ピンク
○タッチ・ザ・ニューヨーク・ピンク
※続きはまた後に。
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